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人生のガイドブック 映画

人生のガイドブック。そんなものがあるとすれば、それは他人が積み上げた経験だろう。
加治の人生経験は、あなたに思考と幸せをもたらしたい。
娯楽のない幼年時代。テレビもなく、札幌の郊外には漫画すらなかった。母親に連れていかれる映画が唯一の娯楽だった。
それも月に一度行ければいい方である。館内はいつも混んでいて、後ろは立ち見、新聞を敷いた通路も座席になっていた。
勧善懲悪のチャンバラ活劇、人間愛物語・・・やがてハリウッド製の西部劇が入ってきた。初めて観る外国人顔のドアップ。どれも同じ顔。そのうち、見分けがついてくる。ジョン・ウエィン、ゲーリー・クーパー・・・すると不思議なもので、ついこの間まで敵国だったのに、だんだん親しみがわいてくる。ピノキオみたいに高い鼻、くぼんだ目がなんとも恐ろし気な「異人」が、かっこよくなり、女性がだんだんきれいに見えてきた。恐ろしいことに、小学生になると、なんだなんだ! 美の基準はすっかり白人顔となる。
戦争ごっこをすると日本軍なのに、妻はアメリカ人の女性なのである。その矛盾に気が付かないバカガキが加治の幼年時代だ。小学校高学年から中学になると加治にとっての映画は洋画で、邦画ではなかった。とにかく面白かった。「第三の男」「駅馬車」「道」「黄色いリボン」「禁じられた遊び」「騎兵隊」「鉄道員」チャップリン映画・・・だから日本人が知っている、美空ひばり、高倉健、石原裕次郎にはまったく興味がなかったというか知らなかった。
高校になって、黒沢監督の「七人の侍」に出会った。すごい! 空気が違った。なんという映画だろうと思った。「椿三十郎」「用心棒」・・・三船敏郎の存在感が抜群で、こんな俳優と監督が日本にもいるんだと夜も眠れないほど興奮した。ほかにいろいろ探したが、黒沢以外はクソだった。後の深作監督の「仁義なき戦い」以外は。

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それから20年、数奇なめぐりあわせで、僕は三船敏郎と親しくなった。数奇な巡りあわせを詳しくいうと、ひょんなことで藤島泰輔という作家と知り合う。彼とはどうして親しくなったのか覚えていない。とにかく彼と僕のボートで遊んでいるうちに、日本から三船さんを連れてきたのである。ちなみに藤島さんは、今騒がれているジャニーズ事務所のメリーさんの旦那である。
三船さんはなんどもロサンゼルスの僕を訪ね、二人で僕のクルーザー「ラヴィアンローゼ」で遊び、二人で飯を食い、バーに呑みに行った。彼はアメリカでも有名でだった。ビバリーヒルズやハリウッドのレストランでも気付かれた。食事中は冷たくサインを断る。それが彼の流儀だ。加治35歳、三船敏郎63歳。28歳違いの友人で、いろいろ仕事もやったが、高校時代にスクリーンであこがれていた俳優が、僕と30センチしか離れてないところで味のある顔で話し、笑い、時間を共有している不思議さは、いつまでたっても解消しなかった。
加治は。やっぱりシャンペンはドンペリだね、とかエルメスのブリーフケースはエレガントだとか、他人が決めた「本物」をありがたがる青臭いバカヤローで、15年前の「反体制的怒れる若者」は、海の見えるプール付きの家でジャズを聴き、クルーザーに乗って、人生最高!などと堕落していたのである。
スピルバーグ監督、主演三船で映画を撮ることになった。加治が35歳の時で、初プロデュース、「孫悟空」だ。
カネもごっそり集めたのに、とんだことでとん挫するのだが、この顛末を、昔の小説「ビバリーヒルズで夕食を」に描いた。
僕が若すぎ、さばけなかったのだ。今考えると惜しいことをしたとも思うが、これも神の思し召しだ。人生予定説の加治は、だからハッピーな今があるのだと、それをスコンと受け入れている。
若かったころのまぶしい思いの一コマ。しかしまだ、夢は重ねている。
「自分の人生を疑るな。心から信じろ!そうすれば報われる」(真の思考亭)

RSS Feed  Posted on 2016-03-14 | Posted in ブログ | Comments Closed

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