加治将一オフィシャルサイト 『加治将一の部屋』

ブログ

Posted on 2016-03-14
人生のガイドブック 映画

人生のガイドブック。そんなものがあるとすれば、それは他人が積み上げた経験だろう。
加治の人生経験は、あなたに思考と幸せをもたらしたい。
娯楽のない幼年時代。テレビもなく、札幌の郊外には漫画すらなかった。母親に連れていかれる映画が唯一の娯楽だった。
それも月に一度行ければいい方である。館内はいつも混んでいて、後ろは立ち見、新聞を敷いた通路も座席になっていた。
勧善懲悪のチャンバラ活劇、人間愛物語・・・やがてハリウッド製の西部劇が入ってきた。初めて観る外国人顔のドアップ。どれも同じ顔。そのうち、見分けがついてくる。ジョン・ウエィン、ゲーリー・クーパー・・・すると不思議なもので、ついこの間まで敵国だったのに、だんだん親しみがわいてくる。ピノキオみたいに高い鼻、くぼんだ目がなんとも恐ろし気な「異人」が、かっこよくなり、女性がだんだんきれいに見えてきた。恐ろしいことに、小学生になると、なんだなんだ! 美の基準はすっかり白人顔となる。
戦争ごっこをすると日本軍なのに、妻はアメリカ人の女性なのである。その矛盾に気が付かないバカガキが加治の幼年時代だ。小学校高学年から中学になると加治にとっての映画は洋画で、邦画ではなかった。とにかく面白かった。「第三の男」「駅馬車」「道」「黄色いリボン」「禁じられた遊び」「騎兵隊」「鉄道員」チャップリン映画・・・だから日本人が知っている、美空ひばり、高倉健、石原裕次郎にはまったく興味がなかったというか知らなかった。
高校になって、黒沢監督の「七人の侍」に出会った。すごい! 空気が違った。なんという映画だろうと思った。「椿三十郎」「用心棒」・・・三船敏郎の存在感が抜群で、こんな俳優と監督が日本にもいるんだと夜も眠れないほど興奮した。ほかにいろいろ探したが、黒沢以外はクソだった。後の深作監督の「仁義なき戦い」以外は。

img053

それから20年、数奇なめぐりあわせで、僕は三船敏郎と親しくなった。数奇な巡りあわせを詳しくいうと、ひょんなことで藤島泰輔という作家と知り合う。彼とはどうして親しくなったのか覚えていない。とにかく彼と僕のボートで遊んでいるうちに、日本から三船さんを連れてきたのである。ちなみに藤島さんは、今騒がれているジャニーズ事務所のメリーさんの旦那である。
三船さんはなんどもロサンゼルスの僕を訪ね、二人で僕のクルーザー「ラヴィアンローゼ」で遊び、二人で飯を食い、バーに呑みに行った。彼はアメリカでも有名でだった。ビバリーヒルズやハリウッドのレストランでも気付かれた。食事中は冷たくサインを断る。それが彼の流儀だ。加治35歳、三船敏郎63歳。28歳違いの友人で、いろいろ仕事もやったが、高校時代にスクリーンであこがれていた俳優が、僕と30センチしか離れてないところで味のある顔で話し、笑い、時間を共有している不思議さは、いつまでたっても解消しなかった。
加治は。やっぱりシャンペンはドンペリだね、とかエルメスのブリーフケースはエレガントだとか、他人が決めた「本物」をありがたがる青臭いバカヤローで、15年前の「反体制的怒れる若者」は、海の見えるプール付きの家でジャズを聴き、クルーザーに乗って、人生最高!などと堕落していたのである。
スピルバーグ監督、主演三船で映画を撮ることになった。加治が35歳の時で、初プロデュース、「孫悟空」だ。
カネもごっそり集めたのに、とんだことでとん挫するのだが、この顛末を、昔の小説「ビバリーヒルズで夕食を」に描いた。
僕が若すぎ、さばけなかったのだ。今考えると惜しいことをしたとも思うが、これも神の思し召しだ。人生予定説の加治は、だからハッピーな今があるのだと、それをスコンと受け入れている。
若かったころのまぶしい思いの一コマ。しかしまだ、夢は重ねている。
「自分の人生を疑るな。心から信じろ!そうすれば報われる」(真の思考亭)

RSS Feed  Posted in ブログ | Comments Closed

 

Posted on 2015-11-13
哀しみのスラブ・パッケージ

photo02

 芸術品は、生で鑑賞するもの。
 昔から私たちは、そうやって芸術を味わってきた。まんま人類の叡智に触れ、深い歴史の波動に酔う。そのためには、すべての邪魔な覆(おお)いを剥ぎ取り、裸の作品を眺め、自分のものであるならば、特権としてむろん触る。
 したがって近年のスラブ入りコインには、度胆を抜かれると同時に、一抹の哀しみさえ覚える。
 「まさか、芸術品に・・・」
 スラブは無様だ。プラスチック・ケースなど芸術品への残酷な異物で、いったい、ありゃ、なんのマネだ?

  なにゆえ普及したのか?

 普及には、昨今流行のネット販売が深く関係している。
 ネットの命は画像だ。そこで問題になるのが画像処理能力の向上。シミ、アザを消し、ブスを色白美人に変身させる修正機能の進化である。
 「写真は信用ならない」
 ネット・バイヤーにとって、写真が大きな不安材料だ。
 で、さすがは通販の本場アメリカ。PCGS、NGCという鑑定格付け会社が誕生した。売り手でもない、買い手でもない、第三者のお墨付き。これなら、なんとなく安心できる。もう一つ、スラブ拡散の原因がある。
 アメリカコインの特殊性だ。
 歴史が浅いせいで、コインの種類が極端に少ない。バラエティがなければ面白みがなく、趣味が広がらない。
 「種類がないなら・・・えーぃ、グレードを上から下まで細分化しちゃえ! これでバラエティがガッツリ増えるじゃん」
 この細分化作戦で少なさをカバーしたのである。その結果、底辺が拡大して、コイン業者、コレクター共にハッピー、ハッピー、スラブはアメリカ通販の申し子なのだ。

 もっと詳しく述べる前に、コイン購入者の基本心理をおさらいしておく。不安は四つ。

 1、 コインは本物か?
 2、 グレード・ランクはいかほどか?
 3、 値段は適正か?
 4、 将来値上がりするか?

 初心者であろうが、中級、いや上級者であっても、永遠に尽きない問いかけだ。
 こだわればこだわるほど、迷宮にハマる。
 八方手を尽くしても、スーパーマーケットに並ぶ既製品ではないので正価にはたどり着けない。たとえ数コインといえども、一つ、一つキズも違えば、色合いも異なった一点ものだ。それゆえ神でもない限り、絶対的な正価は実証できない。
 ようするに​曖昧さはアンティークの本質​なのである。
 したがって最終判断は、購入者本人の責任において、なされなければならない。
 神のみぞ知るであるから、人間に分かるはずはない。売買には損も得も付きまとうのであって、このゲーム性こそ、まさにコインの醍醐味であり、面白さだ。

photo01

 しかし不安症の人は、そうはいかない。絶対的なものを求める。そういうタイプは元来、アンティークの分野に立ち入るべきではないのだが、不安症を振り切るには、売り手である業者に全面的にすがる他はない。
 神でもないのに絶対を保障しろという無茶ブリ。ハタ迷惑な話だ。しかし、そうはいってもそこは商売だから、口が裂けても「100パーセント正しい値段などありません。運的な要素も多分にありまして・・・」などと、不安症の人に、さらに不安の上塗りができないから、コイン史を語り、自己宣伝を述べ、つい安心スパイスたっぷりの説明を施してしまうのですな。
 で、購入し、意気揚々と家に帰ってみたものの、時間とともに沸々とこみ上げてくる不安感。
 「丸め込まれたのではあるまいか?」
 この疑心暗鬼度には個人差があり、被害妄想タイプであればあるほど深くなる。
 「業者が、自分で自分の商品にグレードを付けて売る? インチキじゃねえか!」
 と、しごく当たり前の理論展開。
 不安が不安を呼び、ニセモノ掴みという悪夢に夜も眠れなくなる。
 このパニックをどう鎮めるか?
 カギは鑑定人が握っている。
 「そうだ、アメリカのグレーディング会社があるではないか!」
 まっしぐらに、ここに行き着く。これが昨今のネット販売の普及とあいまって、スラブ入りがこれほどまでに拡散した理由だ。

  しかし、なにかおかしい

 これって芸術品に接する態度じゃありませんな。安く買って、高く売る。株券ではないのに、扱いはひたすら投資材としての扱い。
 儲けのためのスラブ保証!
 ここでハタと気づくはずだ。コインの持つ二つの顔。

   美術品
    ↑
  コレクター
    ↓
   投資材

 美術品と投資材。コレクターは、この間を揺れ動く。
 芸術に重きを持つ愛好家なら、スラブは邪魔、邪道以外のなにものでもない。情熱家であれば、ハンマー片手に「ザケンナ」とばかりバリンと壊して中身を取り出す。
 かく言う加治も、このタイプに近い。
 考えてもみたまえ、せっかく高額の絵画を買ったのに、別室に閉じ込めて封印し、ガラス越しでなきゃ眺められないなど芸術品への冒涜ではないか? スラブ入りの魯山人の器など、イラついて買う気にもならない。
 そもそも、永遠にパッケージから出せない状態なら、はたして所有と言えるのか? 疑問だ。
 愛する女が、病気モチかもしれないからと病院に送り、チェックを受けさせ、無事合格したら、今度はウエットスーツでパッツンと密封。生を見ない、触わらない。なんだ、なんだ? それが君の愛か? 恋なのか? それほど女を信じられないなら、なんのために男として生きているのか? 恥を知れ!
 失礼、つい感情的になったが、それに似た思いだ。

  頭を冷やして、贋作を考えてみる

 一般の美術界ではこうだ。
 贋作とは他人の目を欺く目的で、作者の名前を偽って発表された作品だ。
 では、他人を欺く意図なく制作された学術的な「模写」はどうか?
 作家の手元にある限りにおいては「模写」だが、ひとたび外部に流出し、オリジナル作家のサインが入れば、たちまち贋作となる。
 レンブラント、コンスタブル、ドガ、ゴッホ、シャガール、モネ・・・贋作は無節操なほど幅広い。実際、オークションハウスで扱われる​三割は偽物だと主催者自身がゲロッており、ルーブルには一割近くのフェイクが飾られていると噂されている。
 そこで、こういう定義がまかり通る。
 「贋作と見破れないものは、本物である」
 本物だったが、将来、科学的分析法が進化して、同作品にニセモノの判定を下したときは、一切責任を取らない。これが世界の美術界のルールだ。
 すなわち「贋作の本物」、あるいは「本物の贋作」で成り立っていて、富豪たちは、それを承知
で一〇億円単位のゲームを楽しんでいるのである。その辺のチキン小僧にはとうていマネはできない。

photo04

 コイン界の贋作密度はどうか?
 較べてグンと薄い。理由の一つは、絵画のように腕自慢の偏執狂的な贋作者、あるいは愉快犯的なトリックスターが存在しないということがあげられる。
 次にニセガネ造りは重罪で、昔の相場は死罪と決まっており、このおっかないリスクに較べて、利が少ないことや、またコインの数が多すぎて、造ったところで圧倒的な本物にまぶされ、せいぜい一、〇〇〇枚に一枚ていどではないか、というのが大方の予想なのだ。
 金貨は特に少ない。ゴールド素材が買えるほど裕福ならば、わざわざ危ない橋を渡るバカはいない。
 またオリジナルは存在してなくとも、試作品が貴重品としてもてはやされたり、オリジナルに手を加えて甦らせたものは贋作とは言わずに、修正復元品と明記して、市場に出回るので、絵画などとは違って、こうした「贋作の定義」のユルさも、贋作比率を低くしている要素であろう。
 では、鑑定はどうやって行われるのか?
 X線投射による材質調査、歴史文献的鑑定、資料に基づくデザインや技法の検証、経験主義的鑑定の四つ。
 しかし、なんといってもセンスあるプロの直感がモノを言う。しかしそのプロも、間違いを犯す。中には他人が持っているコインを、つまらない威厳のために偽物だと言い張って、潰しにかかるアホも時々いるので気を抜けない。

  そこで、スラブを考える

 グレーディング会社といえども鑑定は人間の手作業だ。個人差があり、見方は一定ではない。さらにベルトコンベヤー式にコインを秒単位で眺める。朝から晩まで同じことの繰り返し。疲労が重なって、判別がおざなりになる。個人差とおざなりで一律ではない。したがって試しに同一コインをPCGSとNGCに送ったところ、ランクがてんで違ったなどは当たり前どころか、同じ業者に、同一コインを出したら二段階の差があったという笑い話も絶えない。
 ましてスラブ入りのニセモノにいたっては、笑えない事態だ。
 珍品はとくに危ない。
 なぜなら、アメリカのグレーディング会社の鑑定人が、十年に一枚、世に出るか出ないかというヨーロッパのレア・コインを見たことがあるとは思えないからだ。本物を見たこともないくせにどうやって鑑定するのか、一度訊いてみたい。
 困ったことに美術界に毒を流す与太者が存在する。彼らの造ったコピーは、オリジナルとの狭間に置かれ、いつバレるとも知れない海賊版として出回る。ところがグレーディング会社ができたおかげで、究極の錬金術を身に付けることとなった。数撃ちゃ当たるとばかりにドンドン送りつけて、たまたまスラブに入ってしまえば、正真正銘の本物に生まれ変るのだ。
 マネーロンダリングならぬ、贋作ロンダリング。これは危険だ。
 はたしてスラブ入りニセモノを、当のグレーディング会社は保障してくれるのか?

 保障する。ただし、スラブを壊してはならないという条件が付く。

 なにかの冗談だろう?
 先ほど述べたように表面に顕微鏡を当て、円縁を眺め、金属分析器にかけて調べるのが鑑定だ。裸でなければできない。
 しかし保障条件はスラブは壊すな! だ。科学調査ができない状態で、ニセモノの証拠を示せば保障するなど、人を小バカにした話である。手足を縛って、そのうえ猿ぐつわをはめたまま、飯を食べられたら、お会計は免除しますと言っているのと同じで、ナメんなよ。
 すなわち、たとえ偽物であっても保障する気などさらさらないのですな。

  スラブ教

 スラブ入りだって完璧ではない。不完全なものを完全なものとして崇めるのは宗教だ。
 罪深きスラブ教。信者は、初心者や極端な疑心暗鬼症コレクターに多いのだが、昨今増え始めた新参コイン業者も入信する。入信動機は、自分の目が節穴だからだ。
 昔は、見習い丁稚で何年も腕を磨いてから独立したものだが、今やネットという販売ツールのおかげで、だれでもがお手軽に開業できる。このニワカ業者が、スラブに頼る。真贋鑑定の丸投げだ。
 老舗からみれば風上にもおけない小僧どもだが、加治はスラブを完全に否定するのものではない。たしかに初心者の精神安定剤となりうるからだ。
 しかしプロの端くれなら、「スラブが安心! 裸売りは危険!」などと、触れ回るマネだけは、やめた方がいい。眼を養うチャンスを潰す自殺行為で、そんな暇があるなら修行に励みなさい!

  では加治流、偽物を避けるやり方

 コインというのはデザイン、製造技術、材質の三要素をしっかり見極める眼も重要だが、もう一つ、無視できないものがある。この考えは世界最大のオークション会社、サザビーズと一致しているので、加治のやり方を披露する。
 コインの来歴に注目せよ! だ。どういう筋のものか? 来歴の信頼度が高ければ真正性が増す。
 有名なコレクター、学者は言うに及ばず、著名な実業家やスターなどには専属のアシスタントがいて、購入作品の真実を追っている。これらのコインが、ヨーロッパ大手コイン業者のオークションに出品される。大手業者は何年に、いくらで落札したのかの目録を整えているので、加治にとっては貴重な資料となる。プロの眼、プロの記録、これら明快筋の王道コインたちを、最終的にもっとも信頼している加治の眼で選択するのである。
 もう一度言う。美術界に絶対はない。自分の眼を信じることだ。自分で折り合いをつけ、責任は自分で取る。きっぱりとだ。
 それができない人は、アート・コレクションから決別することを薦める。

  芸術品とはなにか?

 人は今に生きている。過去でなければ未来でもない、今、この瞬間だ。
 芸術とは、「今を楽しむ」ものだ。
 だが金銭的利益は、今ではない。売った時に生じる将来の出来事で、「今」とは無縁だ。したがって未来に発生するであろう儲けは、「今」の芸術の本質ではなく、二次的な副産物だ。
 芸術を副産物の奴隷にしてはいけない。コレクターは、未来に呪縛されてはならないのである。口を酸っぱくして言うが、大切なのは「今」だ。
 今を愛する。未来への疑惑は、愛の敵だ。疑惑を募らせ、神々の作品をスラブに閉じ込め窒息させる。そんな大それたことが、どうしてできようか。
 芸術以外を、まとってはならない。まとえば芸術が死ぬ。こうした魂の叫びが、やがて浅はかで強欲なキャピタリズムというやつに呑み込まれてくのかもしれないが、それでも今、すべてを解き放ち、シャンパンをたしなみながら眺めれば、コインたちが輝きを放ち、多次元的に宇宙に飛び交う無数の幸運を引き寄せ、未来が開けてゆく・・・。

―神を疑ってはならない―

加治将一 

photo03

RSS Feed  Posted in ブログ | Comments Closed

 

Posted on 2015-10-07
2015年10月7日 サイトリニューアルしました!

2015年10月7日 サイトリニューアルしました!

RSS Feed  Posted in ブログ | Comments Closed